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「日本書記~黄泉の話」素語り~はなしものまぐさん

「花さき山」の読み聞かせが終わり、静かなピアノ演奏が終わった。
音色の余韻が残る中、おもむろに、十分な間を開けて、”はなしものまぐ”さんの「日本書紀 黄泉の話」素語り(すがたり:伴奏なしに物語を語ること)が始まった。
重々しい語り口は、それまでの和やかな空気を変え、会場を仄暗い黄泉の世界の話へと誘った。

yomotu
(島根県東出雲町揖屋町にある黄泉比良坂)

”はなしものまぐ”さんは、素語りをする自らを「語り部」であると位置づける。
「語り部」とは、本来「三味線の伴奏なしに、浄瑠璃を語る者」をさすが、彼の言う語り部とは「物語をただ語り伝える者」のことである。
まぐさんが表現者としてめざすところは、「自己表現」ではなくまた、話の登場人物を「演じる」という立場でもない。ただ「話」そのものを語るのである。
そこに一般的な表現者が行う、おおげさな感情の表現は無く、あくまでニュートラルな立場で物語を語るのである。物語に仕えるのが、彼の立場なのだ。

まぐさんは、「物語を聴いた人自身が自由に想像を膨らませ、自由に物語を感じてほしい」という。
この言葉は、自身の独自の表現によって、聴き手の思考を縛りたくないという思いからだろう。
ときに、演者が過大な感情表現や、自身の独自性・表現力をあらわそうとするとき、見る者の感情を先取りしてしまい、自由な感受性を奪ってしまうことがある。
演者が先に感情的な涙を流せば、観客は泣けなくなってしまう。
聴く者の想像を縛らない、自発的な思考や感情を妨げない、そんな思想が、彼の語りのスタイルを築いたのだろう。

「日本書紀・黄泉の国」の話は、演者によって、また聴き手によって、さまざまな受け取り方ができる話である。
(黄泉の国内容→http://homepage1.nifty.com/KONDO/yominokuni.htm)
魅惑に満ちた神話であることはもちろん、愛し合った夫婦の悲しい別離であり、自分勝手な男の話であり、執念深い女の話であり、人間の弱さを包み込む懐の深い物語でもある。
会場である「ちいほの産屋」とは、まさにイザナギ(男神)がイザナミ(女神)と口論の末、「あなた(イザナミ)が一日1000人を殺すなら、私(イザナギ)は産屋を建てて、一日1500人の人を生もう」と誓いを立てた「ちいほ(千五百)の産屋」からとられた名前だそうだ。
そのような縁ある場において、はなしものまぐさんの語りを聞いた聴き手のみなさんは、どんなことを感じて、物語のどの部分に注目しただろうか?
話を聴いていたおのおのの皆さんに、お聞きしてみたい。

記:Keiko
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2011-08-15(Mon)
 

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